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執筆者の写真FSG brog 管理者

「すべて私が悪いのです」続き


 スティーブとローラの場合、ローラは自分の感情のすべてを止めて、再びコントロールを失ったりしないとスティーブに約束します。彼女は家庭内に問題を起こしたことを理由に、自分自身を罰するのです。彼女は「二度と再び動揺しない」のような、非現実的な目標を掲げます。しかし、彼女が本気で言っていると理解することが大切です。あれほどまで感情的に制御不能な状態には入り込まないと、本当に約束しているのです。問題は、ローラにとってこの約束は守ることが不可能だということです。彼女の自己非承認の隙をぬって、感情が大きくなっていきます。彼女は自分を価値判断し、自分自身に対して非現実的な期待をかけているので、彼女はまず自分自身の行動に動揺を感じ始めます。自分はひどいパートナーだ、嫌な人間だなどと自分自身に言うので、罪責感、恥、絶望がたまっていきます。時間が経つと、これらの感情は感情的脆弱性へと戻っていってその一部となり、そうなれば、彼女は感情の深い淵へとまた飛び込んでいってしまいます。たぶん、BPDをもつあなたの愛する人は、この大まかな例として挙げたローラと正確に似ているわけではないでしょう。けれども、その人はもっと微細に自己非承認を表出するかもしれません。自己非承認は、三つの異なる行動パターンという形をとり得るのです。


その1 自分のリアクションが正当化できるものであるときでさえも、自分の感情的経験を承認しない人がいます。

BPDの自己非承認における問題は、他の皆がその感情は妥当だと考えるであろうときでも、その人自身が自分の感情は承認できるものではないと主張する可能性がかなり高いということです。例えば、自己非承認をしている人は、同じ状況にあれば他の誰でもある同僚への不満を感じるであろうときに、そのような不満を感じるべきではないと自分自身に告げるのです。喪失の悲しみを経験するときには、悲しみの経験を否定するでしょう。感情の経験を抑えてしまうのです。

 あなたの愛する人が一見冷静そうだと見える場合、実際、感情を抑圧し、否定しているので冷静なのかもしれません。その場合、あなたの愛する人は意志の力でただ感情を消そうと試みているのです。その人は若い頃にこうするように学んだ可能性が高いのですが、私たちは研究から、感情を長い間抑圧するとリバウンドする傾向があることも知っています。そして実際に戻ってくるときには、感情は予想していなかった形で強烈に襲ってくるのです。

 私たちは恥をBPDを持つ人の「生命にかかわる敵」と呼びます。BPDをもつ人にとって一番問題となる感情なのです。これは自殺、自傷、その他の衝動的な行動と相関性が高いものです。恥は非常に急速に蓄積し、彼らを他人から切り離してしまいます。うなだれて座り込み、人と交わらないでしょう。これはその人を人々からより切り離されたように感じさせ、より恥ずかしく感じさせ、究極的にはより問題の多い行動へとつながっていくのです。


その2 状況に対する自分自身の感情的反応を信頼しない人々もいます。

BPDをもつ人で自己非承認をする人は、自分はあまりにも不完全なので、他の人たちが経験するように感情を経験しないのだと信じています。あなたの愛する人は、たいていの人なら感情を刺激されるような状況の真っただ中にあって、「私はどのように感じるべきなのか、わかりません」と言ったことが一度でもありますか?その人はあなたに、「私がこのことについてどう感じるべきだとあなたは考えますか?」と一度でも質問したことがありますか?わたしたちの多くは相対立する感情を抱いたときや自分が過剰反応しているかもしれないと案ずる理由がある時に、このような疑念を表現します。私たちは通常、心の中で自分の気持ちに折り合いをつけようとしているか、信頼する人に現実の確認を求めているのです。しかしながら、BPDをもつ人は自分自身の感情経験を疑うあまり、自分の内的経験を定義するために外からの意見の全面的に依存するようになるのです。自分の内的経験に関する疑惑は、そもそも自分の感情に命名する能力さえも疎外します。自己非承認のせいで、「私の感じていることは間違っていて、病的で、あまりにも狂っているので、私にはそれがなんなのかもわからない」という風に考えるのです。


その3 BPDをもつ人は過度に完璧主的なことがよくあります。

これはあなたを本当に動転させるような、いくぶん逆説的な行動パターンです。あなたの愛する人は自分自身に対して非現実的な高い目標と水準を設定するかもしれません。他の誰かであれば、どう見ても手が届かないと思われるような大志を抱くことは、尊大に見えるかもしれません。多くの小さなステップを介してではなく、単独の巨大なステップで成功できると考える人は、謙虚さに欠けるとみなされるかもしれません。けれども、BPDをもつ人にとっては、これらの非現実的な大志は反対のことを表しています。自分自身の行動を変化させようとして、彼らは自分自身を罰することに集中しようとします。達成不可能な目標を設定し、それからそれらの崇高な志が到達不可能だと判明すると、予想していた通りに、自分は無価値だと宣言するのです。

 シンディーはたくさんの潜在能力がある女性でした。高校をトップの成績で卒業し、大学に入りました。そこで恋に落ち、家庭を築くために退学しました。何年かの間に、彼女は複数回の入院をして、毎日酒を飲むようになりました。人々は彼女に外に出ろ、仕事に就くべきだ、ボランティアをすべきだ、気分を良くするためにできることをすべきだ、と言うのでした。シンディーは大学に戻って、ソーシャルワークの学位を終了することについて語ったものでした。シンディーが大学に通いだして授業に合格できるとわかれば勢いがつくだろう、と皆が思っていました。けれども、口で言うのとは裏腹に、シンディーは決して授業に出ませんでした。合格できるとは思っていなかったのです。彼女は自分自身を愚かで「壊れている」と見ていました。能力不足をひどく恥じていたので、大学のプログラムに決して登録しなかったのです。恥の感情のせいで、達成感をもたらし、自分自身について気分良く感じさせ、最終的にはその感情を減らしてくれるであろうことができなかったのです。

 非現実的な目標を設定して、達成できないというパターンは、薬物乱用のような衝動的行動でよく見られます。薬物使用の直後に、BPDをもつ人は頑固に主張します。「薬物はやめた。もう二度と使わない。やめるのになんの助けも要らない。ただやめるのだから」と。その人は薬物使用中止の「意志力」モデルを用います。人生の中で「苦境を自力で乗り越えなさい」という教訓から学習されたモデルです。しかし結局、この人はまた薬物に手を出してしまいます。すると罪責感と恥が増します。その人は薬物を使ってしまったことで自分自身を罰し始めます。自己非難と批判でいっぱいになります。自己嫌悪は急上昇します。生きるに値しないとして、自殺を試みます。

 自傷もまた、BPDをもつ人が非現実的になってしまうもう一つの衝動的行動です。もしあなたの愛する人が自傷をするのであれば、その人はあなたに二度とやらないと言い、その後その件について話をするのを拒むでしょう。愛する人がこのようなことを言ったとき、あなたはその行動をどのように解釈してきましたか?あなたの愛する人は、あなたがその人を煩わすのをやめさせようとしているのだ、あるいはもっと情報をくれとあなたに乞わせたがっていると想定することは容易です。あるいは、あなたは、その人は単に話すのが不愉快なので自傷について話したがらないのだ、と結論したかもしれません。しかし時として、その瞬間には、その人は自分が再び自傷するなどとは本当に信じていないのです。その後、衝動が起こり、挫折するのです。



次回は「自傷非承認への反応方法」を紹介します。


「境界性パーソナリティ障害をもつ人と良い関係を築くコツ」 シャーリ・Y・マニング著



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