よくある子ども時代の出来事で取り乱している、感情的に脆弱な子どもを想像してみてください。
お気に入りのおもちゃを壊したか失くした、あるいはいじめられたか、からかわれたといった出来事です。その子は問題に対処する
さまざまな方法----おもちゃを修理する、あるいはおもちゃを探すために系統的な探索を実施する、仲間の意地悪に対処するために権威ある大人の強力を得る、あるいは傷ついた気持ちを克服する方法を発見する----を教えてもらえるかもしれません。けれども、子どもの生活に関わっている大人が子どもの感情を許容不可能あるいは受け入れ不可能などと思えば、その子を「助ける」べく時期尚早な救出に猛進するかもしれません。大人はその子のリアクションを理由にその子を叱り(何でもないことで泣くな!)子どもの注意を今すべき問題解決から必死に感情制御を試みることへと逸らすのです。その子は感情のコントロール方法を知らないというのに。なかには、非常に厳密な独自の問題解決様式をもっていて、どのような任意の問題に対しても唯一の解決策というのが存在し、「その」解決策を発見しなければならないのだと伝える人もいるかもしれません。これでは何が最もうまくいくのかを発見するために、子どもがブレインストーミングをして、多様な解決策を分析して試して見る機会を奪ってしまいます。一部の環境では問題への想像的な解決策は罰せられ、あることができると考えるなんて「頭がおかしい」、または、決してそれは達成できないなどと言われてしまうかもしれません。 このようこのようなケースでは、子どもたちは何も問題はないふりをするのが最善だと学びます。あるいは、創造性はあっても仕方がない、または自分に期待されているのは後ろに引っ込んでいて、他の人に問題を解決させることなのだと学びます。その後、このような子どもたちは十分に発達した問題解決技能なしに、成人期に達するのです。
感情の役割には興味深いねじれが加わることがあるため、子ども時代の環境の中には、感情をエスカレートさせるように実際に子どもを強化するものがあります。子どもたちは、あまり感情を込めず静かにまたは礼儀正しくすると無視されることがあります。子どもはより大きく高い声でリクエストします。
無視が続くと、子どもは要求の強さを上げ続けるでしょう。もしその子が、望むものを手にいれているという点で技能をもっておらず、声高で強要的な声を使う一方で、環境がその子にその子の望むものを与えれば、その子は大声を出し、高い声を出し、どぎつい声使えば必要なものを手に入れられると学んでしまいます。時間とともに、その子は人々に助けを求めるために、自動的に(考えずにという意味です)大きく厳しく責め立てるような声を使う人間へと育っていくのです。
次回は「自信の欠如」を扱います。
「境界性パーソナリティー障害をもつ人と良い関係を築くコツ」シャーリ・Y・マニング著
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