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積極的受動性を受動的攻撃性と混同しないように


ハンナはあなたの姉のべサニーのために、出産祝賀会の幹事役を受けました。けれども彼女は計画作業を先延ばしにし、ケーキ屋と話をせず、招待状を送るのを忘れ、そして祝賀会の直前になってあなたに電話をしてきます。彼女はひどく困っていて、自分にはできない、祝賀会はキャンセルしなければならない言います。祝賀会が大失敗になる事態を避けるため、あなたが介入し、ケーキを手に入れ、人々に電話して招待し、祝賀会は見事に成功します。しかしながら、あなたは本当に怒っていて、ぶつぶつと独り言を言い、「彼女はひどく受動 攻撃的だ」と考えます。

 そのことについて考えてみてください。それは何を意味するのでしょうか?受動的攻撃性は何ら本当の意味をもたない、時代遅れの言葉です。全盛期には「防衛メカニズム」あるいは無意識の行動を通じて不安を軽減する手段であるとみなされていました。しかし今日では、通俗語で大雑把に「あなたは最終的に起こったことが怒るのを望んでいたけれど、それを認めたくなかったがその結果を望むことの責任を取りたくなかったのだ」ということを意味する何でもありの用語になっています。けれども、あなたはこの状況でハンナがあなたにわざとこんなことをしたと思いますか?

彼女は最後の土壇場で、あなたに責任を押し付けようとしたのでしょうか?私は彼女はたぶん祝賀会の幹事を務めて、会を成功させたかったのだと思います。彼女はうまくいくことをまとめられず、不安が任務の完遂を妨害したので、おそらくいろいろな手配を先延ばしにしたのです。気がつけば会の日時が迫っていて、パニックを起こしてしまいました。実際祝賀会をキャンセルすることもできたのですが、あなたなら切り抜けれると考えました。そして、もちろんあなたは切り抜けたのです。

残念なことに、BPDをもつ誰かを大事に思っていてる多くの人たちは、その人が問題からの救助を必要とするたびに、その人が「受動・攻撃的」になっていると考えてしまいます。

 実際、私たちは彼女が何も故意にやっていないのだと信じています。私たちが祝賀会の件で何が起こったと信じているというと、ハンナの問題解決様式が非常に受動的だということなのです。彼女は積極的に問題に取り組みません。たぶん回避するのでしょう。彼女が問題解決行動に従事し始めようとする(招待状を準備する、ケーキ屋と話す、計画を立てる)とき、彼女の感情は高まり、彼女のうまく機能する能力は落ちてしますのです。不可避的に、彼女は自滅してしまいます。彼女はただ祝賀会をキャンセルするかもしれませんが、もっと考えられるのは、「あなたが私をこれに引き込んだのだ,だから今、私を助けなければならないのだ」のように攻撃的に、あるいは、「私にはどうしてもできません。荷が重すぎます」のように受動的に他人から援助行動を引き出すようなやり方で振舞うことでしょう。そこで、あなたは問題を解決して彼女を助け出すのです。困るのは、他の人の場合と違い、これが「彼女に教訓を教え」ないということです。BPDをもつハンナは、救出されたことは、祝賀会の準備ができないと思ったときにすでに感じていた以上に恥を感じさせるだけなのです。あなたが24時間で祝賀を実行に移せたという事実は、彼女の無能感を強化するばかりです。彼女は問題解決については何も学んでいなくて、次の義務に直面した時にはもっと「用心深く」なるでしょうし、たぶんすべきことがあるときにはいつでも自分自身に対して非承認的になり、感情が問題解決のステップ開始さえ阻むでしょう。この状況でハンナが主に学習するのは、あなたは問題を解決できるけれども彼女にはできないということです。

 あなたは愛する人の人生のコーチになることを義務づけられているのではありません。その人に問題解決方法を教えるのがあなたの仕事だと言う人はいないでしょう。けれども、あなたがその人の助けを求める嘆願なり要求に違う反応をすれば、その人は問題解決方法を自ら学習し始める機会を得られるかもしれません。


次回は「積極的受動性への反応方法」を扱います。


「境界性パーソナリティー障害をもつ人と良い関係を築くコツ」シャーリ・Y・マニング著


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